髙積神社

髙積神社下の宮

髙積神社上の宮

 

 

 髙積神社の主祭神は、「都麻都比売命・五十猛命・大屋都比売命」の3人の兄妹神で、紀ノ国に木の種を伝えた素戔鳴尊の御子です。

 垂任天皇16年に日前・国懸両神宮が秋月に遷られたとき、この三神が秋月から伊太祈曽に遷られました。更に、文武天皇の大宝2(702)年に三神分祀の勅令により五十猛命は伊太祈曽に都麻都比売命は高山(禰宜)に大屋都比売命は川永宇田森に祀られることになりました。

 このことから高積神社は、1300余年の歴史を有しています。一応は、三神分祀だが、中央に都麻都比売命を祀り、両側に他の2神を祀っていることから、当神社を「高三所大明神」とも称えられてきました。

 なお、明治43(1910)年1月30日に、旧和佐村内に点在していた30数ケ所の神社が、内務省認可により高積神社に合祀されました。

 高積神社は、高積山の山頂(海抜235m)に位置しています。地番は以前は「和歌山県海草郡和佐村大字禰宜字高山1557番地」でしたが、昭和31(1956)年の和歌山市への編入により「和歌山市禰宜1557番地(下ノ宮は、和歌山市禰宜1390番地)」となっています。

 髙積神社は高山の地にあることから、古くから「高の御前」、「高の宮」の名前で呼ばれていました。

 山頂にある本殿は、「上ノ宮」、山麓にある遙拝所は「下ノ宮」と親しまれています。

 昭和3年には、高積神社上ノ宮本殿のすぐ北側の平地等で古銭1万数千枚が発掘され、史跡名勝天然記念物保存顕彰規程(大正14年6月10日和歌山県告示第216号)第1条の規定により、和歌山県の文化財に指定されています。

 この高積山のふもとは熊野への道であり和佐王子川端王子を合祀しています

 

下の宮

上の宮