和佐大八郎の墓


 

 

 紀州藩士の和佐大八郎範遠は、寛文3年(1663)紀州和佐村禰宜に生まれる。

 身長198㎝、異様な力持ちであったといわれる。

 貞亨3年(1686)4月27日、24歳のとき、京都蓮華王院(三十三間堂)で大矢数を試み、総矢数13,053本、通し矢8,133本の新記録を樹立して日本一の名声をあげた。

 功により禄500石を受けながらも失脚し不遇のうちに正徳3年(1713)3月田辺で病没、田辺市の浄恩寺と和佐家累代墓所(和歌山市禰宜)に葬られた。

 浄恩寺には、大八郎の愛用した弓(三十三間堂通し矢に用いられたものといわれています。)が2つ保管されている。