髙積山古銭埋蔵地

 高積神社上ノ宮本殿のすぐ北側の平地等で古銭1万5千枚が発掘され、史跡名勝天然記念物保存顕彰規程(大正14年6月10日和歌山県告示第216号)第1条の規定により、和歌山県の文化財に指定されています

 和歌山県史跡名勝天然記念物調査会報告書第八輯(昭和4年3月発行 和歌山県)史跡の二に「高積山ノ古錢發掘地」として次のように報告されています

 

古銭埋蔵に関する伝説・埋蔵

 高積山について、何時のことから語り伝えられたか分かりませんが、昔から「朝日サシ夕日輝ク其ノ中ニ大判千枚小判千枚朱8石(3石)オハシマス」と言われてきました。

 このことを幼児のころから父に伝えられていた高西凡骨氏(当時の兵庫県西灘村の人)と高積神社の神下博氏が昭和3年11月に県の許可を得て発掘することになりました。

 神社の南端で地下約3尺(約90.9㎝)余りの所から多量の玉砂利の中に混在する天禧通寶、天聖元寶、聖宋元寶、熈寧元寶の僅か4枚の宋代平銭を発見することができました。

 また、神社の北側の板碑の西隣からも多量の古銭が発見されました。

 地表から約2尺(約60.6㎝)の底に平瓦を敷き、その上に約1尺5寸(約45.45㎝)程の厚さに銅銭を積み、土で覆い、更にその上に平瓦を置き、5~6寸(約15~18㎝)程砂利を載せて、土を盛っていた。また、その北隣から発掘されたものは、上下四方平瓦で囲うものであった。

 古銭は藁に通したままで、いずれも緑青のため堅く固着していて叩かなかれば1枚1枚はがれなかったものでした。

 

発掘古銭の調査

 発掘された古銭は、総数15,000枚で、その内調査し得たものは10,470枚で、これを名称別に分類すると、52種類になりました。更にこれを、同一名称でも、篆書銭、眞書銭、行書銭、等に区分すれば70種類を数えました。

 これらは、全て中国の古銭で、漢唐宋元及びそれと同時代並びに明の初代のものに限られ、日本の通貨又は永楽通寶以後の中国の古銭が1枚も混在していないこと、かつ、宋代の平銭が大多数を占めることは注目に値することです。

 このような、多額の古銭が発掘されたことは、和歌山県下においては初めてのことであり、また全国的にも希なことです。

 埋蔵の年代及び目的が的確に判明しないまでも古銭発掘地として史跡に値するもので和歌山県の文化財に指定されています

 

和歌山県史跡名勝天然記念物調査会報告書第八輯の写真から